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東京地方裁判所 平成3年(行ウ)131号 判決

原告

芳賀ケイ

右訴訟代理人弁護士

藤村眞知子

虎頭昭夫

被告

東京都職員共済組合

右代表者理事長

鹿谷崇義

右訴訟代理人弁護士

山下一雄

右補助参加人

小幡トミ子

右訴訟代理人弁護士

大政満

石川幸祐

大政徹太郎

主文

一  被告が平成三年八月二一日付けでした原告の遺族共済年金の請求を棄却する旨の決定を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  本件決定の経緯

原告(大正一四年一一月一九日生)は、昭和六三年一〇月四日被告に対し芳賀利定(大正一二年一月一日生、昭和六三年八月一一日死亡、以下「利定」という。)に係る遺族共済年金の請求をしたところ、被告は、平成三年八月二一日付けでこれを支給しない旨の決定(以下「本件決定」という。)をした。

2  本件決定の違法性

地方公務員等共済組合法(以下「法」という。)によれば、組合員が死亡したときは、その者の遺族に遺族共済年金を支給するものとされ(法九九条一項一号)、遺族とは、「組合員又は組合員であった者の配偶者、子、父母、孫及び祖父母で、組合員又は組合員であった者の死亡の当時その者によって生計を維持していたもの」をいうものとされている(法二条一項三号)。しかして、以下のとおり、原告は、利定の配偶者としてその遺族に当たり、右遺族共済年金の受給権者に該当するから、原告にこれを支給しないこととした本件決定は違法である。

(一) 利定は、被告の組合員であったが、昭和六三年八月一一日死亡した。

(二) 原告は、昭和二一年七月三日利定と婚姻した。そして、以下の(1)ないし(5)のような事情からすれば、利定の死亡当時原告と利定との間の婚姻関係は、未だその実体が失われていなかったものというべきである。したがって、原告は、法二条一項三号にいう配偶者に当たる。行政実務に照らしても、法律婚関係と事実婚関係とが競合する場合における配偶者性の認定については「事実婚関係の認定事務について」(昭和五五年五月一六日庁保険発第一三号各都道府県民生主管部(局)保険・国民年金課(部)長宛社会保険庁年金保険部厚生年金保険・国民年金・業務第一・業務第二課長連名通知、以下「五五年認定事務通知」という。)によるべきものと解され、同通知は、法律婚が実体を失っているとされるためには、①当事者が住居を異にすること、②当事者間に経済的な依存関係が反復して存在していないこと、③当事者間の意思の疎通をあらわす音信又は訪問等の事実が反復して存在していないこと、以上のすべてに該当することを要するものとしているところ、原告と利定との婚姻関係は右②及び③に当たらない。

(1) 原告と利定との間に、離婚の合意はなく、両者の別居もそのような合意によって開始されたものではない。

(2) 利定は、被告補助参加人(以下「参加人」という。)と昭和三三年ころ関係を持つに至ったものと見られるが、原告との間に儲けた子である俊郎(昭和二二年一月六日生)及び京子(昭和二三年一二月一六日生)と原告が東京都国立市に居住していた時期(昭和二七年九月から昭和三九年六月までの期間)においては、特別に変わったところもなくそこに帰宅しており、右家族が埼玉県所沢市に転居して以降はそこに帰宅する回数が以前よりは減ったとはいえ、俊郎が就職する昭和四五年ころまでについてみれば一か月当たり三、四回は帰宅している。右世帯が昭和四七年五月に埼玉県春日部市に転居した後もそこに時折帰っていた。してみると、利定は、参加人との関係が生じて初め二重生活ともいうべき状態になり、その後次第に生活の重点が参加人の側に移行していったとみるべきであって、利定の生活の本拠が原告らの住居と異なるに至ってから、未だ被告のいうような三〇年もの年月は経過していないというべきである。

(3) 利定は、参加人との関係が生じて以降においても、原告、俊郎及び京子の生活費及び俊郎及び京子の学費を負担しており、俊郎と京子が就職した後も原告の生活費を負担していた。その額は、遅くとも昭和五三年ころ以降においては一か月当たり六万円ないし八万円に及んだ。利定はこれを初め原告のもとに持参したり、郵送したりしていたが、昭和五三年ころからは預金口座へ振り込んでいた。

しかして、原告は、甲状腺機能亢進性心疾患の持病があって病弱なために無職で、収入がなく、右の金員がその唯一の収入であった。

このように、利定は原告に対し定期的な経済的給付をしており、両者の間には依存関係があった。

(4) 原告と利定との間には、定期的な音信、訪問があり、右(3)の送金が銀行口座への振込みの方法をとるようになった昭和五三年ころ以降も全く訪問がなくなった訳ではない。また、利定は、俊郎とは時々会って、原告を気遣い、その病状や生活状況を話題にしていたのであって、俊郎を通じた原告との交流は絶えることがなかった。

(5) 利定は、原告と別居するようになった後も、俊郎の進学その他種々の問題の相談に応じ、京子や親族の冠婚葬祭に参列するなどして原告との間に形成された生活身分関係に深く関わっており、原告の側も、俊郎が、利定の病気入院の費用を負担し、また喪主となり費用を出捐して利定の葬儀を執り行うなど、右関係が継続していることを前提として行動してきた。

(三) 右(二)(3)の事実に照らせば、原告の生活が利定からの送金に依存していたことは明らかであるから、原告は利定の死亡当時、利定によって生計を維持していたというべきである。

3  よって、原告は、本件決定の取消しを求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1(本件決定の経緯)の事実は認める。

2  同2(本件決定の違法性)柱書の主張は争う。

(一) 同(一)の事実は認める。

(二) 同(二)柱書のうち、原告がその主張のとおり利定と婚姻したこと及びその主張のような五五年認定事務通知のあることは認め、主張は争う。

(1) 同(1)の事実中、原告と利定との間に離婚の合意がなかったことは認め、その余は知らない。

(2) 同(2)の事実中、参加人と利定とが昭和三三年暮ころ同居を開始したこと、原告と利定が俊郎及び京子を儲けたこと、右両名の生年月日は認め、その余は知らない。主張は争う。

(3) 同(3)の事実中、利定が昭和五三年から約一〇年間俊郎名義の預金口座に振込送金をしていたことは認め、その余は知らない。主張は争う。

(4) 同(4)の事実中、利定が昭和五三年から俊郎名義の預金口座に振込送金をしていたことは認め、利定が原告に対し音信をしたとの点は否認し、その余は知らない。

(5) 同(5)の事実は知らない。

(三) 同(三)の事実は否認する。主張は争う。

3  同3は争う。

三  被告の主張

1(一)  組合員又は組合員であった者が重婚的内縁関係にある場合における遺族共済年金の受給権者としての配偶者の認定については、法律婚関係がその実体を全く失ったものとなっているときに限って事実婚関係にある者を配偶者とする取扱いがされている。そして、厚生年金保険法の保険給付、国民年金法の給付及び船員保険法の保険給付に関する「事実婚関係の認定について」(昭和五五年五月一六日庁保発第一五号各都道府県知事宛社会保険庁年金保険部長通知)及び五五年認定事務通知によれば、当事者が離婚の合意に基づいて夫婦としての共同生活を廃止していると認められるが戸籍上離婚の届出をしていないときや、一方の悪意の遺棄によって夫婦としての共同生活が行われていない場合であって、その状態が長期間(概ね一〇年程度以上)継続し、当事者双方の生活関係がそのまま固定していると認められるとき等が、前記の法律婚関係がその実体を全く失ったものとなっているときに該当するものとされ、右の夫婦としての共同生活の状態にないとされるためには、原告主張のような三つの要件のすべてに該当することを要するものとされている。

(二)  右各通知の要件を本件についてみると、

(1) 利定が原告と別居し、参加人と同居を開始した時期は昭和三三年であり、利定と原告とは、以来三〇年間にわたって別居状態が継続し、また、住民登録上世帯及び住所を異にしてきたこと、

(2) 利定が原告に対し音信を行った形跡はなく、原告を訪問したことも確認できないこと、

(3) 利定は、死亡当時東京技芸健康保険組合の組合員であったところ、参加人と、利定が参加人との間に儲けた浩之(昭和四一年二月四日生)及び恭子(昭和四四年一〇月一九日生)とは、いずれも利定の被扶養者とされており、その健康保険証には、参加人は、「小幡トミ子」ではなく「芳賀トミ子」と記載されていたこと、

(4) 利定は、昭和四七、四八年ころ浦和家庭裁判所越谷支部に、原告を相手方として離婚調停の申立てをしたのに対し(この調停申立事件は不調により終了した。)、原告は、利定との別居後婚姻生活を回復するための行動をとったことは認められず、参加人に対しても抗議等をしたことは認められないこと、

(5) 利定は、昭和五三年から約一〇年間送金をしていたが、これは俊郎名義の預金口座へ振り込まれていたこと、

以上の各事実を綜合すると、原告と利定との婚姻関係は、実体を失って形骸化し、その状態において固定するに至っていたものといわざるを得ない(右(5)の事実については、原告の主張によれば、送金の額は多くて年額八九万円と、利定の収入(昭和六三年八月まで年額一二〇〇万円)に比して少額にとどまっていること、その額は、利定の収入の増加との対比においては送金開始の時から固定しているというべきこと等の事情や右(1)ないし(4)の諸事実を勘案すると、右の送金は離婚給付金の支払としてされたものと見るのが自然である。)。

2(一)  国民年金は、昭和六三年三月末日までは厚生年金保険、共済組合等の被用者年金制度に加入していない自営業者等を対象としてきたが、同年四月一日からは、すべての国民を対象とし、すなわち被用者年金各法(国民年金法五条一項一号)の被保険者及びその被扶養配偶者をもその被保険者とすることとし(同法七条一項二号、三号)、もって、すべての国民に共通の基礎的な年金給付としての、老齢、障害及び死亡についての基礎年金の給付を行うこととされた。そして、共済年金は、右の基礎年金と併せてこれに上乗せする形の報酬比例年金として支給されるところの、いわゆる二階建ての年金給付とされた。

一方、右の国民年金制度の改正に関連して、行政実務上遺族厚生年金の受給権者等の認定については「生計維持関係等の認定基準及び認定の取扱いについて」(昭和六一年四月三〇日庁保険発第二九号社会保険庁年金保険部国民年金課長・業務第一課長・業務第二課長から各都道府県民生主管部(局)保険主管課(部)長宛通知、以下「六一年通知」という。)によることとされたが、右改正の趣旨に則り、公的年金各制度間の統一を図る観点から、国家公務員等共済組合及び被告においても同通知と同様の取扱いをすることとしたものである。

しかして、同通知によれば、配偶者についての生計維持関係の認定の要件は、次の(1)ないし(3)のいずれかに当たることとされている。

(1) 住民票上同一世帯に属しているとき

(2) 住民票上世帯を異にしているが、住所が住民票上同一であるとき

(3) 住所が住民票上異なっているが、次のいずれかに該当するとき

ア 現に起居を共にし、かつ、消費生活上の家計を一つにしていると認められるとき

イ 単身赴任、就学又は病気療養等の止むを得ない事情により住所が住民票上異なっているが、次のような事実が認められ、その事情が消滅したときは、起居を共にし、消費生活上の家計を一つにすると認められるとき

a 生活費、療養費等の経済的な援助が行われていること

b 定期的に音信、訪問が行われていること

(二)  本件に関する前記1(二)アないしオの各事実を前提としてこれをみると、次のようにいうべきである。

(1) 前記1(二)アの事実からして、原告が右(1)及び(2)のいずれにも、当たらないことは明らかである。

(2)ア 前記1(二)アの事実からして、原告が右(3)アに当たらないことは明らかである。

イ 原告と利定との別居期間及び別居後の状況を綜合的に判断すれば、原告は右(3)イ柱書に当たらない。また、前記1(二)イ及びオの各事実によれば、原告には同a及びbのような事実も認められない。

よって、原告が利定の死亡当時、利定によって生計を維持していたということはできない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求の原因1(本件決定の経緯)の事実、同2(本件決定の違法性)(一)の事実、同(二)の柱書の事実中、原告がその主張のとおり利定と婚姻したこと、その主張のような五五年認定事務通知のあること、同(1)の事実中、原告と利定との間に離婚の合意がなかったこと、同(2)ないし(4)の事実中、参加人と利定とが昭和三三年暮ころ同居を開始したこと、原告と利定が俊郎及び京子を儲けたこと、右両名の生年月日が原告の主張のとおりであること、利定が昭和五三年から約一〇年間俊郎名義の預金口座に振込送金をしていたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二1(一) 法二条一項三号によって法上の「遺族」であるとされる配偶者の意義については、法も、届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含むとしているのに見られるとおり(同項二号イ)、民法上の配偶者と全く同一のものとすることはできず、法の有する社会保障法的理念や目的に照らし、独自にこれを解釈すべきである。そして、地方公務員等共済組合は地方公務員等の同一の公務に従事する者を強制加入させて設立されている相互扶助団体であり、これによる遺族給付は、組合員又は組合員であった者(以下「組合員等」という。)が死亡した場合にその者と一定の親密な関係にある家族であって、その者の収入によって生計を維持してきた者に対し、生前組合員等の給与から得ていた収入に代わる一定額の金銭給付を継続することによって、それらの者の生活の安定と福祉の向上とを図り、もって、組合員等が安んじて公務に従事できるようにすることを目的とするものである。そうすると、右の配偶者とは、組合員等と互いに協力して家族としての生活を継続してきた者であって、社会通念上夫婦であると見ることのできる者をいうものと解すべきであり、戸籍上婚姻の届出をしている者は原則として、右の配偶者というべきであるが、そのような者であっても、その婚姻関係が実体を失って形骸化し、その状態が固定して近い将来解消される見込みのないとき、すなわち、事実上の離婚状態にあるときには、もはや右の「遺族」である配偶者には当たらないと解すべきである。

(二) また、法二条一項三号にいう「その者によって生計を維持していたもの」に当たるかどうかの認定については、それに必要な事項は政令で定めるものとされ(同条二項)、その政令である法施行令四条は、これを、「当該組合員等の死亡の当時その者と生計を共にしていた者のうち自治大臣の定める金額以上の収入を将来にわたって有すると認められる者以外のもの」及び「その他これに準ずる者として自治大臣が定める者」とすると定めている。法運用方針(昭三七・一〇・三自治甲公一〇)第一章第二条関係によれば、右「自治大臣の定める金額」は、年額六〇〇万円とされている。また、右「その他これに準ずる者として自治大臣が定める者」に関する自治大臣の定めはされていない。

しかして、遺族共済年金の受給権者である遺族について、配偶者、子というような身分上の関係のほかに、組合員等によって生計を維持していた者であることを必要としている趣旨は、遺族共済年金が、右(一)に判示したように、組合員等の給与によって生活を維持してきた家族に対する給付であるということにある。

そうであるとすれば、法施行令四条にいう「その者と生計を共にしていた者」とされるためには、配偶者等において組合員等と、現実に日々の生活を共にしたり、同居し、又は住民登録上の世帯若しくは住所を同じくしたりしていなければならないものではなく、その配偶者等においてその組合員等の給与からの収入が得られなければ、その生計の維持に支障を来すこととなる関係があれば足りるものと解すべきである。

被告は、六一年通知が、配偶者についての生計維持関係を、「住民票上同一世帯に属していること」等からなる要件のいずれかに該当することによってこれを認定すべきであるとしており、被告も同様に取り扱っている旨主張するが、成立に争いのない〈書証番号略〉によれば、同通知は、社会保険庁年金保険部国民年金課長、業務第一課長及び業務第二課長において各都道府県民生主管部(局)保険主管課(部)長に宛て、国民年金法等の一部を改正する法律(昭和六〇年法律第三四号)の施行に伴い、遺族厚生年金の受給権者等に係る生計維持関係等の認定について、これをすべき場合を例示し、もって右認定の基準及び取扱いについて一般的な訓示をする通達に過ぎないことが認められるから、これによって、法及び法施行令に定める前記各要件が変更されたり、加重されたりする余地はないものといわなければならないから、同通知の定めは右の判断を左右するものではない。

2 法及び法施行令の規定に関する以上の見地から本件を検討すると、前記一の争いのない事実に、〈書証番号略〉、証人芳賀俊郎及び同小幡トミ子の各証言並びに弁論の全趣旨を綜合すれれは、以下の事実が認められる。

(一)  参加人と利定とは、利定が既に原告と婚姻し、二人の子供を儲けた後である昭和三一年に知り合い、昭和三三年ころ結婚を前提として同居を開始し、披露宴をも行った。利定は、昭和三七年ころには参加人の経営する旅館を生活の本拠とするようになったが、両名は、昭和四四年四月千葉県柏市内に居を構え、以後そこで生活するようになり、その間一男一女を儲けた。住民登録上、その子らは利定の世帯に入っていたが、参加人は、右世帯とは住所を同じくするものの別の世帯としていた。

(二)  原告、利定、俊郎及び京子は、もと東京都国立市内に居住していたが、昭和三九年六月埼玉県所沢市内に転居し、そのころからは、利定がそこに帰宅することは少なくなっていった。更にその後、原告、俊郎及び京子が同県春日部市内に転居した後は、利定がそこに現れることは稀となった。

(三)  利定は、参加人との関係が生じてからも、原告に生活費や子らの学費を渡しており、原告、俊郎及び京子の生活はそれと原告がパートタイムの仕事から得た若干の収入とで賄われていた。同県所沢市内及び春日部市内の各自宅の土地及び建物は、いずれも利定の名義で購入された。同県所沢市内の土地及び建物の購入資金は利定が準備した(同県春日部市内のそれを出捐したのが誰であるかはこれを認める的確な証拠がない。)。原告は、昭和四七年以降病弱のため、働きに出たり、内職をしたりすることはなかった。

(四)  利定は、遅くとも昭和五三年四月以降、死亡直前の昭和六三年六月まで別表記載の額の金員を俊郎の名義で開設された預金口座に振り込み、送金をしていた。その口座の通帳はその名義にもかかわらず原告がこれを管理しており、右金員は原告がこれを生活費に充てていた。

(五)  利定は、昭和五〇年浦和家庭裁判所越谷支部に、原告を相手方とする夫婦関係調整調停の申立てをしたが(同裁判所同年(家イ)第一六三号)、後にこれを取り下げた。そのほかには、原告と利定との間で、離婚に向けても、また同居を回復することに向けても格別の働きかけや話合いはされなかった。

(六)  俊郎は、昭和四五年に就職したころ以降は一年に二、三回程度、昭和六一年に結婚して以降は一年に八回程度、原告方以外の場所で俊郎と会っていた。利定は、その際、原告の身の上を案じており、また参加人との間に儲けた子が独立したら原告や俊郎と一緒に暮らしたいという趣旨のことを述べていた。俊郎は、これらのことを原告に話していた。利定は、直接俊郎と連絡がつかない場合は原告を介してこれをすることもあった。また、利定は、結婚後北海道に在住している京子のもとを一度訪れ、孫である京子の子をかわいがった。

(七)  利定は、高等学校への進学(昭和三七年)、大学への進学(昭和四〇年)について俊郎からの相談に乗り、京子の婚姻(昭和四九年一〇月三〇日)に際しては結婚式に参列し、俊郎が昭和六一年四月六日賃貸住宅を自宅として借り受けるに当たってはその連帯保証人となった。

(八)  利定の葬儀は、先に参加人が喪主となってこれを行い、その後俊郎が喪主として別途執り行った。その遺骨は、原告側において菩堤所に納めた。

以上の事実が認められ、証人谷田貝臣男の証言中右認定に反する部分は、その趣旨からして、いずれも専らそのいうところの調査の結果を述べ、又はそれに基づいて自らの推測するところをいうものであるから、採用し難い。

3(一)  前記一の争いのない事実及び右2に認定した事実によれば、原告と利定との間に離婚の合意はなく、利定は、原告と直接面談する機会は僅かしか持たなかったものの、子らを介して原告と交流し、原告や子らの生活に関心を払い、助力を厭わなかったのであり、原告や子らの生計は、殆ど利定からの送金に依存してきたのであって、利定と参加人との同居が長い年月に及んでいることやその間の子らが利定と世帯を同じくしていたこと等を考慮しても、原告と利定との婚姻関係が実体を失って形骸化したとまではいうことができない。したがって、原告は、利定との関係において法二条一項三号にいう「配偶者」に当たるものというべきである。

(二)  また、前記一の争いのない事実及び右2に認定した事実によれば、原告は、利定の死亡した昭和六三年当時、その生活費の相当部分を右2(四)の利定からの送金に負っており、これを欠けば生計の維持に支障を来す状態にあったと認められる。もっとも、その額は昭和六一年当時において一年の合計額八六万円と必ずしも高額ではないが、原告が当時稼働して自ら収入を得ることが全くなかったことを考えれば、そのことによって右の認定は左右されないというべきである(被告は、右送金がさほど増額されなかったこと等を根拠として、これを事実上の離婚給付とみるべきであるとも主張するが、右(一)のとおり、原告と利定とが、離婚の合意に達し、あるいは事実上の離婚状態に至ったというような事実は認められないのであるから、右主張はその前提を欠く。)。

そうであるとすれば、原告は利定の死亡の当時同人と生計を共にしていた者のうち自治大臣の定める金額以上の収入を将来にわたって有すると認められる者以外のもの(法施行令四条)に当たり、利定の死亡の当時同人によって生計を維持していたものということができる。

4  そうすると、原告は、利定に係る遺族共済年金の受給権者としての「遺族」に該当することとなるから、原告にこれを支給しないこととした本件決定は、違法である。

三以上によれば、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中込秀樹 裁判官榮春彦 裁判官長屋文裕)

別紙〈省略〉

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